毒親について

自分では結構ひどい親だと思っているが、本人たちは「とてもいい親だった」と満足しているし、自己肯定にまだ不安のある自分は「もしや自分が贅沢言ってる?」という疑念も消し去れないでいる。というか自分が悪いという感覚は根本的にある。なぜなら私は存在していい子供ではなかった。勉強も苦手、運動も苦手、お友達をつくるのも苦手、生存しなくていい子供だった。しかしなんだかんだ生き残ってふてぶてしくなったので、自分が毒親被害者だと言い張るべく箇条書きで恨みを載せておく。

 

言葉編
・「産まなきゃよかった」「おまえなんかが私の子の筈がない」「橋の下で拾ったんだ」「オマエはうちの子じゃない」子供ながらに傷付きながらも割と聞き飽いた台詞集
・「なんでこんなことも出来ないの?」「おかしいよ?」「ハァー……」「恥ずかしいと思わないの?」「なんで?」「どんくさい」「ほんとグズで何も出来ない。オマエは馬鹿だ」「信じられない」「なんでオマエはそんなに駄目なの?」「オマエはおかしい」「異常すぎる」日常的なダメ出し、褒められたことはない
・呼び名は「家畜」「ブタ」「メスブタ」「白豚(肌が白いから)」(なお標準体重だった)
・名前はほぼ呼ばれなかった
・「オマエなんかに親と呼ばれたくない」→それ以降「おじさん」「おばさん」と呼んでいる

・「ブサイク」「なんでそんな顔なの?」「本当にブス」「人に見せられない顔」(小学生のとき男子にいじめられていたが一度としてブスとは言われなかったので多分ブスではないと信じている。他の女子は平気でブスだと言われていた)
・「誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ。ちゃんと食べさせてもらって学校にも行かせてもらって、こんなできた親はいない。オマエはのたれ死んでも文句言えないんだぞ!」養ってやってる台詞はたくさんパターンがあってしつこく言われたけど腹が立つから割愛

 

胸編
・全く望んでいないがおっぱい小学生だった。母親のお古のタンクトップ(ぶかぶか)を着せられ、ちらりと覗く横乳に「マセてる」「最近の子は」「なにそのおっぱい」「恥ずかしい」「なんで大きいの?」「いやらしい」「小学生のくせに下品」日常的にからかわれたり、馬鹿にされていた
・父親に羽交い絞めにされ胸を揉みしだかれること十数回「デケェ乳しやがって!」「なんでこんなデカいんな?」「なんだこれは、おぉ!?」中学生になっても続いた 興奮して後ろからハァハァ息を吹きかけられるのも嫌だったな
・同級生や下級生にも揉まれるので自分の胸がおかしいのが悪いんだと思っていた けど父親のこれは性的虐待案件では?
・自分の胸はおかしい・恥ずべきもの、という認識になり、出来る限り隠すよう猫背になったら「だらしない!」「ちゃんと歩け恥ずかしい」とかなり怒られたが、どうすればいいかわからなかった

 

拒否・いじめ編
・親の帰りが遅かったので料理(ニラの卵とじとか)を作ったら「なんなァこれは!」「いらんわ!」と投げられた
・高校二年、軽く化粧をしたら「なんなァそれは!」「やめろそんなもの!」「おかしい!」
・頻繁に部屋を漁られて物を捨てられた。お菓子の空き缶に入れて大事に飾っていた手作りのぬいぐるみを「汚い」「こんなのいらないでしょ」と捨てられたのはかなり辛かった。他にも大切なもの必要なものをどんどん捨てられた。この喪失感ははっきりと残っている。なんで捨てるの!?と怒ったことがあるが、オマエに指図される謂れはないと二人ともに怒鳴られた 「やめて」と泣き叫ぶ娘を見ながら物を捨てていくのはいいストレス解消になっていたんだろうな
・ちょうど小学生の時ゲームボーイポケモンが大流行していた。うちはゲーム完全禁止で、口にしただけでも怒られた。周りの子にはハブられ「買ってもらえないのが悪いんでしょ!」と馬鹿にされていた
・小学生の頃、髪は常にベリーショートにさせられ男の子にしか見られなかった。児童館で大人の人がヒソヒソと「あれ女の子なんだよ…」「えっ、そうなの…?」とか言われてて微妙にショックだった
・お年玉を全額搾取され、一銭たりとも貰えなかった。周りの子がガチャポンを回してキャッキャしているのを凝視していたし、自販機の飲み物を自由に買う様を凝視していた 常に貧困だった

 

お友達絶対編
・保育園の頃、私はひとりで行動するのが好きな子だった。両親はそれに強い嫌悪感を抱いたらしく、とにかく友達を作るようにしつこく言われた。友達がいないことはおかしいこと、あってはならないこと。友達を作ったら必ず名前を報告しなければいけなかった。そういったプレッシャーで、友達作りは義務としか感じなかった
・頑張って友達を作っても、グループの変動についていけなかった時もあり、担任が親に「○○ちゃんはひとりでいることも多いみたいだから」と告げ口しようものなら長時間説教されて、いかに異常か、病的かを叩きこまれた 泣きながら「お友達作ります、ごめんなさいごめんなさい」と言い続けていた どうして自分が異常なのかはわからなかった

 

あれ……これだけ? さらさらと書いてたけどもう思いつかない これじゃただの根性なしでがっかりする。
でもずっと死のうと思ってた。自分は社会に適合しないし、生きている価値はないし、生き残る技能なんてないと本気で思っていたし、学生でいられなくなる時、具体的には20歳で自分の人生は終わる、必ず死ななくてはいけないと思っていた

 

多分弊害編
・自殺願望。高校を出て職業訓練校に入学し、予定していた死期が近くなってくるとどんどん病んだ
・腕と足を切り刻んで毎日そろそろ死なないといけないと泣いていた。死にたいけど死にたくない、という矛盾があり、その着地点が自傷だった(なお高校の時にも度々太腿の皮膚を掻いて剥ぐことはあったが簡単なストレス解消方法もしくは自分への懲罰で、異常行動だとは思っていなかった)
・現実逃避もあったのか、病的なダイエットを始めた。1日300キロカロリーに抑えて、バイト帰りにジムで運動していた。体調が悪くても気にならなかった。深夜0時を回るので親は露骨に嫌悪感を示して「不良娘」「遊び歩きやがって」と叱られたがやめる気はなかった。もちろんおかしいほど痩せて、これで初めて自分で自分を認める感覚を知った。元々標準体重だったのが痩せ型になることで自分は「ブタ」「メスブタ」ではないと自信がついた
・そんなある日ネットを見ていて「これでいいのだ」という言葉に出会った。バカボンの口癖であるが、自分を肯定するとてもいい言葉だと紹介されていた。初めて自分を許そうと思った。それまで私はずっと自分を許さなかったし、痛めつけるべきものだと断じていた。許すという感覚を知らなかった。気持ちが一気に持ち直して、生きていてもいいんじゃないかと思った。そして5~6年ほどかけてゆっくり自傷癖を治した

きっかけはネットで貰ったけれど、誰にも言わず自分ひとりで自分を立て直したのは立派だと思う。客観的に見て鬱病と呼べるほどひどい精神状態だった。そのせいで必死になって作り続けてきた友達とも疎遠になり縁を切った。親に叱られてもそれどころじゃなかった。
あと、一応親のことフォローするけど、高校は好きに選べばいいと言ってもらえたのは嬉しかった 自分にも選択肢があるんだなって。まあ、勉強不得手でほとんど選びようもなかったけれどそれは自分が悪いし……

 

搾取編

・ところで数年前、親から2000万搾取されました。借金です。


どうにか家を出たかったものの邪魔され、変に優しくなったり褒めたりしておだてられ、長年の渇望「親からまともな扱いをされる」を与えられた代わりに「家の建て替えをしろ!」と……。少しでも怖気づいたら「オマエはおかしい」と恫喝され、脅迫され、飴と鞭で頭がおかしくなっていました。未婚の女にそんな借金を背負わせるなんてひどい話ですが、「私達は当然のようにしてきた」「この程度の金知れとるだろうが!」「文句ばかり言いやがって!」といくら話しても理解してくれないので本当に、どうしようもないクズだなと思うばかりです。ただ逃げきれずに恨みを抱えただけの私はただのバカです。借金に縛られてもう二度と逃げられない。
自由になるのが夢でしたが、いつになるかはわかりません。両親が亡くなったあとの、定年後の静かな時間だけを夢見て生きています。私はその時、今までの人生をどれほど無駄にしたんだろう、不幸でい続けたんだろう、と後悔するかもしれませんし、やっと解放された・これからは自分の為だけに生きていける・人と関わらずにいられる、と無邪気に喜ぶかもしれません。バカなので。
しかし親の介護が待ち受けています。母親は既にボケてきていますし、私は介護に疲れ果て、金も尽き、結局自殺してしまうのでは……と考え、とにかくそれが不安です。
20代も終わりかけですが、未来はないし日々は暗いし、体調は悪いし、あーもういいことない。全て私の行動のツケ、いいえ違う私だけが悪いんじゃない。会社のキチガイはそのままキチガイだし、キチガイお局はただのキチガイお局だし、毒親は自分が正常だと思い込んでるキチガイだし、私はたまに不安定になる元メンヘラ、それだけのこと。社会は歪でいいし、正しく在ろうなんてしなくていい。
せめて定年後の私が存命で、幸せでありますように。

……文章ぐちゃぐちゃになってしまった……。